教会紹介

葉山恵子 主任牧師 ; 안혜숙 담임목사

ハレルヤ!このホームページに来られた皆様を歓迎いたします。

1990年4月26日、京都で始まったフルゴスペル京都教会は韓国のヨイド純福音教会のブランチの教会として神様がくださった日本一千万救霊のための京都地方福音化と全世界宣教という使命を持って今まで信仰の前進に歩みを合わせて来ました。そして、常に魂の救いと聖霊充満、救済と愛の実践に励んできました。京都でこのようにフルゴスペル教会が建てられたことはただ聖霊の導きの中でなったのです。今も変わらない聖霊の御業に従って行くために神様がこの教会にくださったビジョンに従って前進したいと願っております。

今年も主にあって良いことが起こります。フルゴスペル京都教会で共に信仰で一つになり、主の御旨に従っている貴重な主の共同体になりますように祝福します。

할렐루야! 홈페이지를 방문하신 여러분을 환영합니다.

1990년4월26일 교토에서 시작한 교토순복음교회는 한국의 여의도순복음교회의 지교회로서 하나님이 주신 민족 복음화와 세계선교라는 사명을 가지고 지금까지 믿음의 전진에 발맞춰 왔습니다. 그리고 늘 영혼 구원과 성령 충만, 구제와 사랑 실천에 힘써 왔습니다. 교토에 이렇게 순복음교회가 세워진 것은 오직 성령의 인도하심 가운데 이루어 진 것입니다. 앞으로도 변함없이 성령의 역사를 이어 나가기 위해 하나님이 우리 교회에 주신 비전을 따라 순종하며 나아가기 원합니다.

올 한해에도 주님 안에서 좋은 일이 일어납니다. 교토순복음교회에서 함께 신앙으로 하나되어 주님의 뜻을 이루어가는 주님의 귀한 지체가 되시기를 축원합니다.

God bless you!

純福音とは

「純福音」とは、新しい福音や理論ではなく、聖書に記されている御言葉をあるがまま受け入れる純粋な福音です。「純福音」は聖書の御言葉をどのようにすれば神様の本来の意図通りに理解し、生活に適用できるのかについて関心を集中しています。すなわち、神様の御言葉をあるがまま信じて行うことによって、福音の純粋性を保持して、その力を回復させようとするものです。

순복음이란

「순복음」이란 새로운 복음이나 이론이 아니라 성경에 기록되어 있는 말씀을 있는 그대로 받아들이는 순수한 복음입니다. 「순복음 」은 어떻게 하면 성경 말씀을 하나님의 본래 의미대로 이해하고 생활에 적용하는가에 초점을 두고 있습니다. 즉 하나님의 말씀을 있는 그대로 믿고 행함으로써 복음의 순수성을 유지하고 그 힘을 회복하려 하는 것에 있습니다.

「純福音」は英語‘Full Gospel’翻訳です。‘Full Gospel’は「充満な福音」で、神様を中心とする主義、つまり神本主義に立脚して聖書全体の内容をそのまま(Fully)すべて(Totally)信じ受け入れる、ペンテコステに降臨された聖霊に満たされる福音を内容としています。ですから、純福音の信仰とは、イエス·キリストの十字架のあがないの結果として与えられた霊の救いだけではなく、肉体の病からの癒しと生活の呪いからの解放など、すべてを含む全人的な救いの福音を強調する、純粋な福音主義信仰を意味しています。

「순복음」의 의미

「순복음」은 영어 ‘Full Gospel’의 번역입니다. ‘Full Gospel’은 ‘충만한 복음’ 으로, 신본주의에 입각해 성경전체의 내용을 그대로 (Fully) 모든 것(Totally)을 믿고, 받아들이는 7주의 절기 성령충만의 복음을 내용으로 하고 있습니다. 그렇기 때문에 순복음 신앙이란, 예수 그리스도의 십자가 구속의 결과로써 받은 영의 구원뿐만이 아니라, 육체의 병으로부터 치유, 생활의 저주로부터의 해방 등 모든 것을 포함하고 있는 전인적인 구원의 복음을 강조하는 순수한 복음주의 신앙을 의미합니다.

<ガルバリの十字架信仰>

純福音の信仰は、イエス・キリストが私たちのため血を流して死なれたこと、そしてよみがえられたことによる救いを信じて受け入れることによって得られる、新生の福音にあるガルバリの十字架信仰です。このガルバリの十字架信仰は、福音の中心で、純福音信仰の基層であり、出発点です。

<ペンテコステ聖霊充満の信仰>

純福音の信仰は聖霊に満ちた初代教会の信仰を、今を生きる私たちの信仰生活に再現しようとする信仰です。

<地の果てまで宣べ伝える信仰>

イエス様の十字架の贖あがないを通して生まれ変わり、聖霊の力を十分に受けた聖徒は、自然に自分が体験した福音を他の人に伝える信仰を持つようになって成長していきます。

<善き神様を信じる信仰>

純福音の信仰は、このように私たちに救いと祝福を与えてくださる神様は、いつでもすべてのことにおいて善き神様、愛の神様でおられることを信じる信仰です。

<病を背負われたイエス様を信じる信仰>

純福音の信仰は、イエス様が私たちの罪だけではなく、病もあがなってくださったことと、その恵みを今も与えてくださっていることを確信し、これを実践する信仰です。

<再臨するイエス様を信じる信仰>

純福音の信仰は、聖書に記されている新天新地と永遠の国を望み、現在を生きる間、最善を尽くして主に仕えようとする終末論的信仰です。

<分け与える信仰>

分け与える信仰とは、神様から受け取った祝福をまず神様に捧げ、また隣人に分け与え、救済する信仰を言います。

<갈보리 십자가 신앙>

순복음 신앙은 예수 그리스도가 우리들을 위해 피 흘리시고 죽으신 후 부활하신 것에 대한 그 구원을 믿고, 받아들임으로 얻어지는 신생의 복음, 즉 갈보리 십자가 신앙입니다. 이 갈보리 십자가 신앙은 복음이 중심이 되며 순복음 신앙의 기초이며 출발이 됩니다.

<성령충만의 신앙>

순복음 신앙은 성령이 충만한 초대교회 신앙을 오늘날 우리들의 신앙생활에 재현시키려고 하는 신앙입니다.

<땅끝까지 선교하는 신앙>

예수님의 십자가 구속을 통해서 거듭나고, 성령의 힘을 충만히 받은 성도는 자연히 자기가 체험한 복음을 다른 사람에게 전하는 마음을 갖고 성장합니다.

<좋으신 하나님을 믿는 신앙>

순복음 신앙은 우리에게 구원과 축복을 주시는 좋으신 하나님으로 사랑의 하나님을 철저히 믿는 믿음입니다.

<병을 치유하시는 예수님을 믿는 신앙>

순복음 신앙은 오늘날에도 예수님께서 우리의 죄뿐 아니라, 병도 구속해 주시는 것, 그 은혜를 지금도 내려 주시는 것을 확신하고 이것을 실천하는 믿음입니다.

<재림의 예수님을 믿는 신앙>

순복음 신앙은 성경에 기록되어 있는 새로운 신천지와 영원한 나라를 바라고 현재를 살고 있는 삶속에서 최선을 다해 주를 섬기려는 종말론적 신앙입니다.

<나눠주는 신앙>

나눠주는 신앙이란 하나님으로부터 받은 축복을 먼저 하나님께 드리고 이웃에게 나눠주며 구제하는 믿음을 말합니다.

純福音の基礎になるのが「五重の福音」です。「五重の福音」とは、「新生の福音」、「聖霊充満の福音」、「癒しの福音」、「祝福の福音」、「再臨の福音」をいいますが、これらは聖書の主要な五つの主題でもあります。これら五つの主題はキリスト教信仰の始めからの過程と結果について扱っており、信仰生活の全過程を説明している核心主題です。

五重の福音の基礎は新生(Regeneration)の福音です。新生とは救いの前提条件です(ヨハネ3:3)。そのため、新生の福音は救いの福音とも言えます。五重の福音の基礎になる新生の福音を正しく理解するためにはまず人間とは何かを知らなくてはなりません。

「なぜ生まれ変わらなければならないのか」

人間が罪とサタンの力から自由を得、解放されるためには救いが必要です。人間は最初の人間アダムにより罪に定められ(ローマ5:16)、みな罪人になったので、自らは神様の栄光に至ることができないのです(ローマ3:23)。神様は人間が罪を犯し、堕落した直後に救いを示しました。

「わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう」。(創3:15)

この御言葉で、女の子孫とはイエス・キリストを示す言葉として、その後預言者たちの預言を通して、啓示されています。イエス・キリストは預言された言葉通り、ご自身をすべての民を救うためのいけにえにしました。イエス・キリストの十字架の苦難と死を通しての救いは、次の四つを意味しています。

1.十字架の苦難と死は、人間の罪の結果が何かを見せてくれる(イザヤ53:5)。
2.人間に対する神様の愛の大きさを見せてくれる(ローマ5:8)。
3.一人の人間の価値の大きさを見せてくれる(マタイ16:26)。
4.赦しの代価が何かを見せてくれる(イザヤ53:6)。

「新生の方法」

新生に至る二つの条件は悔い改めと信仰です。悔い改めと信仰は、同時に起きる一つの事の両面です。救いに至る条件のひとつは、悔い改めです。バプテスマのヨハネが叫んだ最初の一言が「悔い改めよ、天国は近づいた」(マタイ3:2)であって、イスラエルの民に対するイエス様の最初の一言も「悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコ1:15)でした。また聖霊降臨の後、使徒ペテロも「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただきなさい」(使徒2:38,3:19)と叫びました。
救いに至るもうひとつの条件は信仰です。パウロはピリピの牢の看守に「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)と宣べ伝えました。この救いの信仰は、神様の誠実な約束の御言葉に対する私たちの信仰の上に、神様の信仰が与えられたときに可能になります。イエス・キリストを自分の救い主として確実に信じる信仰は、聖霊によらなければ得ることができないのです(Ⅰコリント12:3)。

「新生の結果」

罪を悟って悔い改め、イエス様を救い主として受け入れるなら、どのようになるでしょうか?

1.聖霊が私たちのうちに住むようになる (ローマ8:11)。
2.罪と死の原理から解放される(ローマ8:1,2)。
3.神様の子どもとされる特権が与えられる(ヨハネ1:12)。
4.神様が約束したすばらしい祝福が与えられる(Ⅲヨハネ1:2)

新生を体験した聖徒たちは聖霊のバプテスマを受け、聖霊に満たされなければなりません。聖霊に満たされる時、力を得、福音を宣べ伝えるようになり、また聖霊によって聖められ、罪悪の力と本性的な堕落から離れ、聖潔な生活を送るようになります。薄情で消極的な信仰から離れ、感激と感動に溢れ、積極的に福音を宣べ伝え、聖い人生を生きていこうとするのが聖霊充満の福音です。

「聖霊の神性と人格性」

聖霊は御父なる神、御子なるイエス様とともに三位一体なる神様の第三位格であり(使徒5:3,4;マタイ8:19,20)、神様の属性をすべて持っておられます。聖書は聖霊が神様の属性である永遠性(ヘブル9:14)、全能性(ルカ1:35)、全知性(Ⅰコリント2:10)、偏在性(詩139:7,8)などをすべて持っておられると述べています。また、聖霊は人格を持っておられるという洞察は、私たちの信仰生活に絶対的な影響を及ぼしている大切な要素です。なぜなら、私たちが信仰生活でより一層力ある現実的な実を結ぶには、まさに人格的な聖霊を認め、歓迎し、受け入れて、聖霊が働いてくださることが必要だからです。

「聖霊の働き」

イエス様は聖霊が来られると、「罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう」(ヨハネ16:8~11)と語りました。聖霊は罪人を呼び出し、悔い改めさせ、新しくして、神の子とします(ヨハネ3:5)。聖霊は信じる者のうちに住み(ヨハネ14:16)、教え(ヨハネ14:26)、導き(ローマ8:14)、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さいます(ローマ8:26)。その他にも、聖徒に証印を押し(エペソ1:13,14;Ⅱテモテ2:19)、遣わし(使徒13:4;16:6,7;Ⅰコリ12:11)、保証となり(Ⅱコリント1:22;エペソ1:14)、力と油を注ぎ(ルカ24:49; 使徒2:1~4; Ⅱコリント1:21; Ⅰヨハ2:20、27)、体をよみがえらせ(ロマ8:11; Ⅱコリント4:14)、神の子どもであることをあかしする働きをされます(ローマ8:16; ガラテヤ4:6)。

「新生と聖霊のパプステマ」

新生と聖霊のバプテスマは明らかに異なる別の体験です。もちろんこの二つの体験が同時に起きることもあり、ある一定の時期をおいて起きることもありますが、違う体験であることは確かです。聖書には新生の体験をした信徒たちでも聖霊のバプテスマを受けていなかった例が記されています(使徒1:45; 8:14~17)

福音書に現れたイエス・キリストは、霊、たましいを守り、福音を宣べ伝える偉大な福音説教家(Preacher)であり、弟子たちを教える偉大な教師(Teacher)であるだけでなく、肉体の病を癒す偉大なる癒し主(Healer)でもあります(マタイ4:23)。このように病の癒しは、イエス・キリストの主な働きであり、神様が人間に与えた大いなる恵みです。

「病の根本」

病の原因はいろいろありますが、聖書的に見ると、病の主要な3つの根本原因はサタンと罪と呪いです。

1.サタンが人間を縛り、病を誘発する場合があります(マルコ9:25)。
2.人間が犯す罪の結果として病がくる場合があります。
3.人間が神様の御教えを守り行わないため、神様から呪われ、病の苦痛を受ける場合もあります(申28:58~62)。

「病をあがなうイエス・キリスト」

病をあがなうイエス・キリストに対する旧約聖書に出てくる暗示的事象はいろいろあります。代表的なものは過ぎ越しの子羊(出12章、民9章)とマラの苦い水を甘くした一本の木(出15章)とモーセの青銅の蛇 (民21:4~9)です。

罪の赦しと病の癒し、このふたつはイエス様が行く所々で行った重要な働きです。イエス様は病人を治す度に罪の赦しと病の癒しを不可分なものとして結び付け、全人的な癒しを行われました(マルコ2:9、10)。

イエス様はなぜ十字架の極刑を受け、鞭打たれなければならなかったのでしょうか?

これについて聖書はイエス様が鞭打たれたのは私たちの病を癒すためであったと言っています。イエス様が鞭打たれることによって、私たちの病と弱さを代わりにあがなって下さったのです(イザヤ53:4;Ⅰペテロ2:24)。

「癒しの条件」

癒しの条件は祈りと信仰と御言葉の遵守です。

1.聖書には祈って病が癒された例が所々に記されています。ヤコブ5章14、15節に「あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる」とありますそれ故に、私たちが気落ちせず続けて祈る時、癒しの体験をすることができるのです。

2.癒しは本人や他の人の信仰による場合があります。マルコ5章に出てくる12年の間長血をわずっらていた女性がイエス様の着物にさわって治った話では、本人の信仰で癒されました(マルコ5:25~34)。またマタイ8章に出てくる百人隊長のしもべが癒された話では、百人隊長の信仰を通して癒されました(マタイ8:13)。

3.聖書は、私たちが神様の御言葉を守れば神様が病気を下すことはないと約束しています(15:26)

人間はだれでも祝福され、幸せに生きることを望んでいます。また、天と地とその中のすべてを創られた神様は自分の子どもたちが恵みの中で豊かな生活をすることを望んでいます。

「物質世界に対する正しい理解」

神様の祝福は天地創造の時から始まります。神様は人間を造る前にこの世の物質を先に造り、それをよしとされました(創1章)。神様が造った万物は善き物として創られたのです。人間は人生の初めの日を神様とともに豊かな物質を楽しみ、休息すればよかったのです。ここに人間に対する神様の根本的な意図が表れています。

「十字架のあがないと祝福」

「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。」(Ⅱコリント8:9)「キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。」(ガラテヤ3:13)。

この御言葉を見ると、イエス様がこの地で貧しくなったのは、私たちを豊かにしてくれるためであり、呪いから私たちをあがなうためであることが分かります。もし私たちがこの御言葉を通して祝福されなかったら、私たちはイエス様が貧しくなられたのをむなしくしてしまいます。また、聖書は「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒20:35)と言っています。キリスト教の根本的な生活理念は、このように与えるということです。愛を、希望を、祈りを、物質を与える時、まことに祝福されるクリスチャンになるのです。

イエス・キリストの再臨はぼんやりとした宗教的な幻ではなく、神様のいつくしみ深い計画であり、イエス・キリストの誠実な約束であり、聖書が見せているはっきりとした未来史です。

「再臨の目的」

1.イエス・キリストは旧約の預言とイエス御自身の約束の言葉を成就するために来られる。
2.イエス・キリストは死人をよみがえらせ、聖徒を栄光に満ちた姿に変えるために来られる(ピリピ3:20、21)。
3.イエス・キリストは死を滅ぼすために来られる(黙20:14)。
4.イエス・キリストは聖徒たちを御計画の場所に導くために来られる(ヨハ14:2、3)。
5.イエス・キリストは最後に生きている人と死んでいる人とを裁くために来られる(Ⅱテモテ4:1)。

「再臨の時期」

再臨の時がいつかは正確に知られていません。イエス様も「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる」(マタイ24:36)とはっきり言われました。しかし、福音が全世界に宣べ伝えた後、来られ(Ⅱテサロニケ2:2、3)、ラッパの響きとともに来られ(Ⅰコリント15:51、52)、ノアの日のように来られる(マタイ24:37~39)と教えています。

「再臨前後の事件」

1.空中再臨 Ⅰテサロニケ4章16、17節に約束されているように、主が号令と御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。この時主が油を用意している教会と聖徒を雲の中に引き上げますが、これを「携挙」と呼び、イエス様が空中まで来られることを「空中再臨」と言います。

2.7年患難 携挙された聖徒たちが小羊イエス・キリストとともに空中で婚礼の祝宴をする間、地上では患難が続きます。この患難の期間が7年ぐらいであるので、「7年患難」と呼びます(ダニエル9:27)。

3.地上再臨 空中で小羊の婚礼の祝宴が終わる時、イエス様は引き上げられた聖徒たちとともに地上に降臨します。これを「地上再臨」と呼びます。

4.千年王国 サタンが縛られ底知れぬ所に閉じられた後(黙20:1~3)、この地上には「千年王国」が設立されます。この王国の王はイエス・キリストです。

5.白い御座の裁き(黙20:11) 神様は宇宙のある所にさばきの座をおかれましたが、このさばきの座が「白い御座」です。審判が始まると、その前にすべての死人はよみがえらされて立たされ、各々自分の行いに応じて裁かれます(黙20:14)。

6.新天新地 最後には新しい天と新しい地が到来します。聖徒が入る御国は永遠に新しいものです(黙21:1)。このような新天新地に新しいエルサレムが下ってきます(黙21:2)。この新しいエルサレムは新天新地の都です。この新しいエルサレムがどれほど美しいかについては、花嫁が夫のために飾られたようであると描写されています(黙21:2)。

「終末的人生の態度」

イエス・キリストの再臨に備えて、聖徒は油を用意した5人の娘のようにいつも目をさましていなければいけません(マタイ24:4225:2~13)。そして、熱心に伝道しなければいけません。伝道はイエス・キリストの最後の願いであり(マタイ28:18~20;マルコ16:15~18;使徒1:8)、最大の関心事です。ですから、聖徒は時がよくても悪くても伝道に力を尽くさなければいけません(Ⅱテモテ4:2)霊の救い、これが私たちの人生の一番大きな使命であり、目標です。最後に聖徒は再臨を待望しなければいけません。私たちの究極的な希望はこの世にあるのではなく、キリストの再臨と永遠な御国にあります。ゆえに、私たちは御国を愛し、待ち望む態度で過ごさなければならないでしょう(Ⅱペテロ3:1112)。アーメン。主イエスよ、来てください!

이 순복음의 기초가 되는 것이 「오중복음」입니다. 「오중복음」이란, ‘거듭남의 복음’, ‘성령충만의 복음’, ‘치료의 복음’, ‘축복의 복음’, ‘재림의 복음을 말합니다. 이것은 성경의 주된 다섯개 주제이기도 합니다. 이 다섯 주제는 그리스도교 신앙의 첫과정과 결과에 대해 다루고 있으며, 결국 신앙생활 전과정을 설명하고 있는 핵심 주제가 됩니다.

오중복음의 기초는 거듭남(Regeneration)의 복음입니다. 거듭남이란 구원의 전제조건입니다(요3:3). 그러므로, 거듭남의 복음은 구원의 복음이라고도 말할 수 있습니다. 오중복음의 기초가 되는 거듭남의 복음을 바르게 이해하기 뒤해서는 먼저 인간이란 어떤 존재인가를 알아야 합니다.

「거듭남으로의 길」

인간이 죄와 형벌과 사단의 힘으로부터 자유를 얻고 해방되기 위해서는 구원이 필요합니다. 인간은 아담으로 인해 정죄 받아(롬5:16), 모두 죄인이 되어, 스스로는 하나님의 영광에 이를 수가 없습니다(롬3:23). 하나님은 인간이 조를 범하고 타락한 직후에 구원을 예시하였습니다.

“내가 너로 여자와 원수가 되게 하고 네 후손도 여자의 후손과 원수가 되게 하리니 여자의 후손은 네 머리를 상하게 할 것이요 너는 그의 발꿈치를 상하게 할 것이니라 하시고” (창3:15)

이 말씀에서, 여자의 후손이란 예수 그리스도를 가리키는 말로, 그후 예언자들의 예언을 통해서, 계시되어 있습니다. 예수 그리스도는 예언된 말씀대로 자신을 전 인류를 구원하기 위한 속죄물이 되셨습니다. 예수 그리스도의 십자가 고난과 죽음을 통한 구원은, 다음 네가지 의미를 시사하고 있습니다.

 첫번째, 십자가의 구원과 죽음은, 인간의 죄의 결과가 무엇인가를 보여주고 준다 (사53:5).

 두번째, 인간에 대한 하나님의 사랑의 크기를 보여주고 잇다(롬5:8).

 세번째, 한 사람의 인간의 가치가 얼마나 큰가를 보여주고 있다(마16:26).

 네번째, 죄 용서함의 대가가 무엇인가를 보여주고 있다 (사53:6).

「거듭나는 방법」

구원에 이르는 두가지 조건은 바로 회개와 믿음입니다. 회개와 믿음은, 동시에 일어나는 하나의 사건의 양면입니다. 구원에 이르는 조건의 하나는, 회개입니다. 세례요한이 부르짖은 최초의 한마디가 “회개하라 천국이 가까이 왔느니라”(마3:2) 이었고, 이스라엘 민족에 대한 예수님의 첫마디도 “회개하고 복음을 믿으라”(막1:15) 이었습니다. 또한 성령 강림 후, 사도 베드로도 “너희가 회개하여 각각 예수 그리스도의 이름으로 세례를 받고 죄 사함을 받으라” (행2:38, 3:19) 라고 외쳤습니다.

구원에 이른는 또 하난의 조건은 믿음입니다. 바울은 빌립보 감옥의 간수에게 “주 예수를 믿으라 그리하면 너와 네 집이 구원을 받으리라” (행16:31) 라고 외쳤습니다. 이 구원의 믿음은, 하나님의 성실한 약속의 말씀에 대한 이 구원의 믿음은, 하나나님의 신실하신 약속의 말씀에 대한 우리의 믿음의 위에 하나님의 믿음이 주어질 때 가능합니다. 그러므로 예수 그리스도를 자기의 구주로 확실히 믿는 믿음은, 성령에 의하지 않으면 얻을 수 없습니다(고전12:3).

「거듭남의 결과」

죄를 깨닫고 회개하여, 예수님을 구주로 영접하면, 어떤 결과에 이르게 됩니까?

 첫번째, 성령이 우리들 안에 거하게 된다(롬8:11).

 두번째, 죄와 죽음의 원리로부터 해방된다(롬8:1,2).

 세번째, 하나님의 자녀가 되는 특권이 주어진다(요1:12).

 네번째, 하나님이 계획하신 대단한 축복이 저주어진다(요삼1:2).

거듭남을 체험한 신자들은 성령세례를 받고, 성령충만하게 되어야 합니다. 성령충만할 때 권능을 얻고, 복음을 전파하게 되며, 또 성령으로 깨끗함 받고 죄악의 힘과 본성적인 타락으로부터 떠나, 성결한 생활을 보내게 됩니다. 소극적인 신앙으로부터 떠나 감격과 감동에 넘쳐, 적극적으로 복음을 전파하며, 거룩한 인생을 살아가려고 하는 것이 성령충만한 복음입니다.

「성령의 신성과 인성」

성령은 아버지 되시는 하나님과 함께 삼위일체 되시는 하나님의 제삼위격이고 (행5:3,4; 마28:19,20), 하나님의 속성을 모두 갖고 계십니다. 성경은 성령이 하나님의 속성인 영원성 (히9:14), 전능성(눅1:35), 전지성(고전2:10), 편재성(시139:7,8)등을 모두 갖고 계신다고 말하고 있습니다. 또한, 성령은 인격을 갖고 계신다는 통찰은, 우리의 신앙생활에 절대적인 영향을 끼치는 중요한 요소 입니다. 왜냐하면, 우리의 신앙생활이 보다 깊고, 힘 있는 현실적인 열매를 맺도록 하는 사역이, 바로 인격적인 성령을 인정하고 환영하고 영접할 때, 생기게 되기 때문입니다.

「성령의 역사」

예수님은 성령이 오시면, 죄에 대해, 의에 대해, 심판에 대해 세상에 그 잘못됨을 인정하게 합니다 (요16:8-11). 성령은 죄인을 불러, 회개시키고, 새롭게 하여, 하나님의 자녀가 되게 합니다 (요3:5). 성령은 믿는 자 가운데 거하고 (요14:16), 가르치며(요14:26), 인도하시고(롬8:14), 말할 수 없는 탄식으로 우리를 위하여 친히 간구하십니다(롬8:26). 그 외에도 성도에 인치심을 주시고 (엡1:13,14; 딤후2:19), 보내시며(행13:4; 16:6,7; 고전12:11), 보증이 되시며 (고후1:22; 엡1:14), 능력과 기름을 부으시며(눅24:49; 행2:1-4; 고후1:21; 요일2:20, 27), 몸을 부활하게 하시며 (롬8:11; 고후4:14), 하나님의 자녀인 것을 증거해 주십니다 (롬8:16; 갈4:6).

「거듭남과 성령세례」

거듭남과 성령 세례는 확실히 다른 별개의 체험입니다. 물론 이 두 체험이 동시에 일어나기도 하고, 어느 일정 시기에 일어나기도 합니다만, 서로 다른 체험인것은 확실합니다. 성경에는 거듭남의 체험을 한 성도들이 성령 세례를 받지 못한 예가 기록되어 있습니다 (1:4, 5; 8:14-17).

복음서에 나타난 예수 그리스도는, 영혼을 보호하시며, 복음을 전파하는 위대한 복음 설교가(Preacher)이시고, 제자들을 가르치는 위대한 교사(Teacher)일뿐 아니라, 육체의 병을 치유하는 위대한 치유의 주(Healer)이기도 합니다 (마4:23). 이처럼 병고침은, 예수 그리스도의 주된 사역이며, 하나님이 인간에게 주시는 크신 은혜입니다.

「병의 근본」

병의 원인은 여러가지로 있습니다만, 성경적으로 볼 때, 병의 주요 3대 원인은 사단과 범죄와 저주입니다.

 a) 사단이 인간을 다스리고, 병을 유발시키는 경우가 있습니다 (막9:25).

 b) 또한, 인간이 범한 죄의 결과로 병에 걸리는 경우가 있습니다.

 c) 그리고, 인간이 하나님의 모든 가르침을 지키고 행하지 않기 때문에, 하나님으로부터 저주를 받아 병의 고통을 받는 경우도 있습니다 (신28:58-62).

「병을 속량하시는 예수 그리스도」

병을 속량하시는 예수 그리스도에 대한 구약의 모형은 여러가지 있습니다. 그 중에서 중요한 것이 유월절의 어린양 (출12장, 민 9장)과 마라의 쓴 물을 달게 한 나무(출15장)와 모세의 놋뱀 사건(민21:4-9)입니다.

죄사함과 병치유, 이 두가지는 예수님이 가시는 곳곳에서 행하신 중요한 사역입니다. 예수님께서 병자를 고치실 때마다 죄사함과 병치유를 불가분의 관계로 연관시키시고, 전인적인 치유를 행하셨습니다(막2:9, 10).

예수님께서 십자가 극형을 받고, 채찍질 받지 않으면 안되었던 이유가 무엇입니까?

이것에 대해 성경은 예수님께서 채찍질 받은 것은 우리의 병을 치유키 위한 것이었다고 말씀하고 있습니다. 예수님께서 채찍질 당하심으로 우리의 병과 연약함을 대신 속량해 주신 것입니다(사53:4; 벧전2:24).

「치유의 조건」

치유의 조건은 기도와 믿음과 말씀 준수입니다.

 첫번째로, 성경은 성경엔 기도함으로 병고침 받은 예가 곳곳에 기록되어 있습니다. 야고보 5장 14, 15절에 “너희 중에 병든 자가 있느냐 그는 교회의 장로들을 청할 것이요 그들은 주의 이름으로 기름을 바르며 그를 위하여 기도할지니라 믿음의 기도는 병든 자를 구원하리니 주께서 그를 일으키시리라” 라고 쓰여 있습니다. 그러므로 성도는 낙심하지 말고, 계속해서 기도 할 때 치유의 체험을 할 수가 있습니다.

 두번째로, 치유는 본인이나 타인의 믿음에 의한 경우가 있습니다. 5장에 나오는 12년동안 혈루병

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